空が澄み渡り、高い空に浮ぶ雲がよく見える。ヒツジに見えるような雲、魚の鱗のように見える雲。イワシの群れのようにみえる雲。秋の雲は表情豊かだ。
俳句を始めた年の秋、句会で「来月の兼題は『鰯雲』にしましょう。」と発表された。「いわしぐも」という言葉が耳に入ってきた瞬間、♫いわし雲とぶ空の下♫ という歌が頭の中に甦ってきた。60年代に、ザ・フォーク・クルセダーズが唄った『戦争は知らない』というフォークソング。作詞は寺山修司さん。父親を戦争で亡くした女性が、「いわし雲とぶ空の下 いくさしらずに二十才になって 嫁いで母に母になる」と、空のかなたの父親に呼びかける歌詞がドラマチックで、とても心に染みた。当時小学生だった私は、この歌で初めて、「いわし雲」と呼ばれる雲があることを知り、それからずっと「いわし雲」にこの歌のドラマを重ねていた。
なので、この時の句会には寺山修司さんへの哀惜も込めて、「鰯雲といえば思い出す。かつて反戦歌をうたった詩人がいたなぁ」みたいな感情を「五・七・五」にして投句したのだが、「どういうこと?」「反戦歌?」と、句会に参加されたどなたにも理解されなかった。この時の句は手元に残っていないのでここで披露することができないのだが、句ではなく散文にすぎなかったのだと思う。
そもそも俳句の季語とは、自分の個人的なイメージではないのだ。季語は「季節を表す言葉」。そして、それが持つイメージや意味が共通理解されて成り立つ言葉。詠みたいことが季語と重なって、さらにイメージを膨らませることになる。
数年後、また『鰯雲』が兼題となった。『いわし雲』という季語は、いったいどんなイメージや意味を持っているのだろうと思いあぐねながら、こんな句を詠んだ。
闘病の友と語らひ鰯雲 真理子
(久しぶりに会えた友人と話が弾んだ。空を仰ぐと青い空にいわし雲が広がっている。)
そして去年の秋には、こんな句を詠んだ。
姉も吾(あ)も母の歳超ゆ鰯雲 真理子
(33年前66歳で亡くなった母。去年、姉もわたしも亡くなった母の歳を超えた。時の流れをしみじみと感じた。姉とわたしは母よりも長生きしたことになるのだ…)
『鰯雲』という季語のイメージとその力を掴むのはとても難しい。いわし雲の浮く秋晴れの日の爽やかさ。晴れ晴れとした明るい気分。だが、それでいて寂しいような、切ないような気もしてくる。そうかと思うと、澄み渡る空に浮ぶいわし雲を見た時、慰めを感じる時さえある…。
Mariko