やっと、秋らしくなった。昨夜の雨が止み今日は朝からずっと涼しくて過ごしやすい。
今年の夏は暑かった。尋常でない猛暑の日が延々と続いた。8月末からの残暑も厳しくて、このまま永遠に夏が終わらないのではないかと思うほどだった。でも、真夏のような暑さの中でも、秋の気配は感じられた。青く澄み渡った空には秋独特の雲が見えるし、薄暗くなった庭からは虫の声が聞こえる。柿の実は少しずつ少しづつ色づいている。なかなか涼しくならないけれど、季節はちゃんと移り変わろうとしていることが実感できていた。
新涼(しんりょう)という季語がある。夏とは違う涼しさをしみじみと感じることを表わす言葉だ。ホトトギス新歳時記(三省堂)によれば『秋はじめて催す涼しさ。夏の暑さの中の一時的な涼しさと違って、よみがえるような新鮮な感触がある。』 厳密にいうと、初秋。つまり8月の季語なのだが、今日のような涼しさに、ぴったりの季語だと思う。
大の字の夫(つま)の寝息や秋涼し 真理子
(*秋涼しは新涼の子季語)
さっきからとなりの部屋がやけに静かだ。障子を開けると、部屋で仕事をしているはずの夫が畳の上に大の字になって寝ている。それはそれは気持ちよさそうな寝息をたてて…。タオルケットをそっとかけておこう。
さて、私は本を読もうかな。暑かった日々、なかなか活字を読むことに集中できなかったので、読みたかった本が何冊も棚に積み上げられたままだ。積み重なった本の山から、まず最初に読む本を選ぶことにしよう。秋の夜長には長編小説とかシリーズものの読破を目指したいところだけれど、まずはコレ。アドラーの心理学書から。読書の秋だ。さぁ読むぞぉ。
積読(つんどく)のアドラー開く夜長かな 真理子
季語は夜長。秋(8月、9月、10月)の季語。9月に入ると急に夜が長くなったような気がする。暑さも収まり、これからは勉強や読書などに集中できる、まさに秋の季語である。
真理子