困った。句会まであと一週間しかない。なのに俳句ノートは真っ白のまま…。
とにかく俳句のタネを捜そう。「プレバト!!」(TBS系)の俳句コーナーでおなじみの夏井いつき先生が「俳句のタネを探そう」とおっしゃっているように。しかし、どうしてもタネが見つからない。心が動かなくなってしまった…。何かを感じることがなければ、はじまらないのに…。
困ったよぉと、唸りながら本棚に目をやったら、亡くなった母の俳句ノートを見つけた。少し黄ばんだノートをめくると、「庭の梅、薫り、春が来た」 「ひな人形、笑顔」 「オリンピック、雪の中」 「嫌なニュース、見たくない」 「冬至湯、浮ぶ柚子」 などなど。句の一歩手前のような言葉が羅列されている。嫁の私に着物を着付けた朝のことまでも書いてある。母が俳句を始めたのは80歳を少し超えた頃だったろうか。80歳を超えた母の心が動いたモノがそこにあった。
なんでもない日常。目に入った草花。誰かと会ったこと。笑ったこと。そうか、そういうことでいいのだ。特別なことなんかじゃない。でも見つめているうちに、そして見つめているからこそ、特別なことになるのかもしれない。最近の私は、上手な句を作りたいと気負っているのではないか?句会で評価されたい、褒められたい、そんなことばかり思っているのじゃないか?あれこれ考えすぎると作為が生まれる。だから、見えてるモノが見えなくなってしまうのだ。
初心に戻ろう。上手い下手じゃない 優劣じゃない。心が動いたことを忘れないために、言葉を紡ごう。五七五のリズムで刻もう。それでもやがては心の窓が閉まってしまうときが来るにちがいない。母もそうだった。でも、自分から窓を閉めさえしなければタネは尽きないはずなのだ。
真直ぐの母の縫ひ目の浴衣かな 真理子
※ 雨上がりの釣鐘草。ホタルブクロとも呼びます。
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