今日は月に一度の句会の日でした。長いこと句会に出向くことができず、欠席投句という形で句だけを参加させていただいていたのですが、今年の春先からやっと出席できるようになり、句会の楽しさをじわじわと実感しているところです。

句会では、まず、先生も含め参加者が作ってきた句(わたしの句会の場合3句)を用紙にまとめます(出句*と清記**)。その際、作者の名前は書きません。どなたの句かわからない状態で、用紙に書かれた句の中から、自分がよいと感じた句を選ぶ作業をします(わたしの句会の場合5句)(選句)。

* 出句 : 句会で自分の俳句を提出すること。
** 精記 : 担当者が提出された俳句を清書すること。筆跡からその句の作者が分からないようにするため。

選句が終わると、お当番の方(句会によって異なります)が選句結果を発表します(披講)。この時「だれだれ選」と、選句した人の名前を告げて、選んだ句を読み上げます。

自分の句が読み上げられたら、名前を名乗ります。ここで初めて作者が誰なのかが明らかになります。

「では、披講いたします。」とお当番の方。
「K.選。 40番、針穴へ糸ままならぬ冬の雨」
Kさんが選句した句が発表されました。
「あ、はい、真理子」と、あわてて私が名乗りました。
(わぁ、Kさんがまた私の句を選んでくださった!うれし~い!)

続いて、
「真理子選。」と、私が選句した句が発表されました。すると
「K.」と、Kさんが名乗りを上げたのです。
(わぁ、この句はKさんの句だったのね!ほのぼのとして好きだなぁ。)

Kさんは、大正15年生まれの老紳士。俳句の会の大先輩です。寡黙な方で、残念ながらおしゃべりしたことはなく、ご挨拶をするのがやっと。でも、作られる句は多弁です。大根を冷たい水で洗う。冬の朝の散歩。落葉の中でのひとり吟行。病院での待ち時間。どれも日常のなにげない瞬間が詠まれていて、季節を感じながら流れゆく時間を大切にすることがいかに素敵で、そしていかに尊いことなのか教わりました。

年齢を重ねてきたからこそ、と思われる句もたくさん詠まれています。特に終戦の日がお題だったとき、戦地で受けたと思われる傷のことを静かで穏やかな言葉で詠まれた句にはとても胸を打たれました。戦争の実体験なく、ただ黙祷を捧げて祈るだけの自分の句が薄っぺらに思えました。またいつも杖を携えていらっしゃるのですが、師走にその杖とともに立ち、さらなる一年に向かおうとするKさんの力強さを感じた句もあります。

わたしの句をよいと感じて選んでくださるKさん。わたしもまた、毎月、Kさんの句をよい句だな、好きだなと選びます。年齢も性別も超えて感性が似ている人と出会うなんて!人との出会いは奇跡ですね。Kさんに出会えたこと、この素敵な出会いを大切にしなければ。俳句がんばるぞぉ。

山茶花

M.