「ホーホケキョ!」
あれ、ウグイス?
「ホー ホケキョ、ケキョケキョー!」
やっぱりウグイスだ。
朝の散歩コースの公園でウグイスの声が聞こえました。この季節の公園の雑木林は木々の若葉が生い茂り、うっそうとしています。声は聞こえても姿は見えず。
「ホーホケキョ」
あ、また!どこだ、どこにいる?
透き通った美しい鳴き声が雑木林に響き渡ります。早春に庭先で聞いたホーホケキョとは比較にならないほど鮮明で力強い鳴き方です。
ウグイスは春告鳥。春浅い頃、庭先で突然聞こえるケキョケキョという鳴き声。ウグイスのぎこちない鳴き声を耳にするだけで、春が来たと心が和みます。日を追うごと、ホーホケキョが上手になってきたなぁと思っていると、いつの間にかいなくなってしまうのですが、ウグイスは夏に繁殖期を迎えるため、春が終わる頃には山へ戻り、巣作りを始めるのだそうです。
パートナーをゲットできるかどうかは鳴き声にかかっているので、雄は春先から練習を積み重ねます。さらに子を外敵から守るべく縄張り宣言のため、懸命にその声に磨きをかけるのです。
公園の雑木林で鳴いているウグイスは、もしかしたら春に我が家の庭に来ていたウグイスかもしれない。腕をあげたね。なんて美しく力強くホーホケキョと鳴くことか。朗々とアリアでも歌いあげているよう。万緑のすがすがしい空気の中で、夏のウグイスが命をつなぐために懸命に鳴いている。
俳句では、夏になっても鳴き続けるウグイスを「老鶯(おいうぐひす、ろうおう)」とか「残鶯(ざんおう)」と呼び、夏の季語になっています。年老いたウグイスという意味でなく、春に人里近くで鳴くウグイスが、夏の山中でまだ鳴いていることから、主観的な語であるとのこと。
老鶯なんていうと、声も涸れかけた年老いた鶯だと思いがちですが、実際は春のウグイスよりも山で鳴く夏のウグイスのほうが声高らか。夏までに鍛えられ研ぎ澄まされてくるその鳴き声が、老熟(経験をつんで物事に熟練すること)と言えるからではないか、というのは私見ですが…。
うぐひすや木曾の谷間に老をなく – 高浜虚子
老鶯や晴るるに早き山の雨 – 成瀬桜桃子
老鶯に応えて廻る散歩道 – 真理子
※新緑の中で鳴くウグイスは、鳴き方も上手になり余韻が残るほど。
美しい声を響かせ、まるで誘うよう。姿の見えないウグイスに誘われながら雑木林を歩きまわる様を詠んでみました。
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