日本は高品質な製品で知られています。カメラ、車、電化製品などなど、いろいろあります。しかし、銃や武器となると困ってしまいます。ジェームズ・ボンドの小説を読んだり、ダーティハリーの映画を見たことがある人なら、ベレッタ、スミス&ウェッソン、コルト、グロック*、シグ・サーなどをよくご存知でしょう。これらはすべて銃や武器のメーカーです。ベレッタはイタリア系、スミス&ウェッソンとコルトはアメリカ系、グロックはオーストリア系、シグ・ザウアはドイツ系、スイス系、そしてアメリカ系です。日本のメーカーはありません。
一方、宗近、政宗、村正、義光の名前の中には心当たりがある人がおられることでしょう。ご存ではありませんか?それも無理はないかもしれません。彼らは、平安時代中期(西暦900年頃)以降に刀を作り始めた刀鍛冶、あるいはその一族なのですから。その中には今日でも伝統的な方法で刀を作り続けている人々も存在します。例えば、鎌倉にある「正宗刀剣工房」は、現在、山室綱平氏(正宗家24代目)が経営しており、鎌倉時代末期(1185〜1333年)から始まった700年の家系の伝統を今に引き継いでいます。
刀は、14世紀初頭に登場した武士が持つようになり、江戸時代に入ると脇差と長刀の2本を持ち歩くようになりました。この2本の刀は、武士の特徴であり、武士だけが持つことを許されていました。他の階級は小刀(太刀)、短刀、脇差一本だけを使うことが許されていたのです。
つまり、この2本の刀は単なる防御のための武器であるだけでなく、日本の封建社会の支配階級として、他の社会階層とは異なる特権と権利を象徴する存在だったのです。そのため、命より惜しいほどの貴重な財産であったことは当然とも言え、その高度な技術力を維持する努力は並大抵のものではなかったことでしょう。
彼らが作り上げてきた刀は、古典的な戦争の武器としてはもちろん、芸術作品としても、他の追随を許さない高みにある存在となっています。バジル・ホール・チェンバレンはその著書『 Japanese Things』(英語)(1904年出版)の中で、日本刀を使って銅貨の束をその刃を傷つけることなく切り抜くことができる、と記しています。
この記事を書きながら、インターネットで調べものをしているときに面白いものを見つけました。2005年のこと、英国のオークションハウス、クリスティーズは、河内守正広の署名入りの(1685年)肥前刀を36,000ドルで落札したのですが、その刀身には「試割断鉄甲」の文字が刻印されていました。これは、鉄兜を切り裂いて試したことを意味している。写真の刀身をよく見ても、この試し切りでも刀身には微塵の痕跡も残らなかったことが明白です。下記のクリスティーズに掲載されている写真を御覧ください。