秋の蝶という季語があることを知りました。文字どおり、秋に飛んでいる蝶のことです。単にとすれば、それは春の季語。同様に、夏の蝶秋の蝶、そして冬の蝶と、それぞれの季節を冠した季語があります。

たしかに蝶は春だけでなく暑い盛りにも涼しくなってからも見かけますが、季節を意識して呼び方を区分するなんて、俳句を始めるまで知りませんでした。

蝶といえば、菜の花とともに春の象徴。春になると、先ずモンシロチョウ(紋白蝶)やモンキチョウ(紋黄蝶)が舞い始めます。誰もが待ちに待った春が来た!というイメージが圧倒的だからでしょうか、だけで春の季語となっています。

やがて大きくて派手なアゲハチョウ(揚羽蝶)が登場。この時期が夏。夏に見られる蝶を、夏の蝶といいます。夏の蝶には「美しさと禍々しさ、強烈な個性と儚さという相反するイメージがある」と解説している記事を見つけました。童謡「ちょうちょう」の可愛らしいイメージとはうって変わり、神秘性を帯びてくるのか…。

春の訪れを告げる使者であるが、夏の蝶となり、そして秋という季節の中で秋の蝶になります。10月になり風が吹くと気持ちがよいこの季節、いつもの散歩コースで目の前をひらひら舞う蝶をよくみかけます。この蝶が秋の蝶。確かに春にふわふわと飛んでいる蝶とはちょっと趣が異なる気がします。春そして夏が過ぎてまで舞っている蝶。翅を輝かして飛んでいる様子は、美しくもあり寂しくもあるような…。

秋の蝶には老蝶(ろうちょう、おいちょう)という別の言い方もあります秋の初め萩の花の上を群れ飛んだり原っぱを飛び回ったりしている秋の蝶はまだまだ元気いっぱい。せわしないくらい飛び回っていますが、季節が進むにつれ姿も弱々しく、飛び方にも力がなくなってきます。この必死に生きている姿を愁い、老蝶(おいちょう、ろうちょう)という呼び方をするのでしょう。

そして冬に見かける蝶は冬の蝶。寒くなってきたのに生きながらえている蝶。寒さがさらに厳しくなる1月には凍蝶(いてちょう)という季語があります。生死の境に身を置いて、凍ったように動かずにいる蝶。じっと動かずに、死んでいるように見える蝶のこと。見たことはありませんが、痛ましくもさぞかし美しい姿なのではないかと想像してしまいます。

年が明けて最初に見かける蝶は、初蝶(はつちょう)という季語になっています。長く寒い冬が過ぎ春を迎える季節の移ろいの中で、ふいに目の前をよぎる蝶を見かけて、あ、春がきた、と心が踊る気持ちを初蝶という季語に託すのでしょう。

俳句における蝶の扱いの深いこと。そしてそのまなざしのなんと細やかで優しいこと。四季の中で暮らす日本人がいかに季節感を大切に生活してきたか、改めて気づかされました。それぞれの季節を生きる蝶に心を寄せて俳句に詠み込めるようになりたいと思う秋です。

以下はご参考までに:

蝶の季語について、私の手元の「改訂版ホトトギス新歳時記 稲畑汀子編 (三省堂)」から以下に抜粋します。ただし、歳時記によって解説が多少異なりますし、季語の関連語(子季語)についても統一されていないことをご了解ください。あくまでもご参考までに。

春4月 - 

蝶は四季を通じて見かけるが、単に蝶といえば春である。種類も多く紋白蝶、紋黄蝶は小型で優しい。菜の花を初め色とりどりの春の花に蝶の舞うさまは風情がある。春以外の蝶は、夏の蝶、秋の蝶、冬の蝶、凍蝶と区別される。胡蝶(こてふ)。蝶々(てふてふ)。初蝶(はつてふ)。揚羽蝶(あげはてふ)。

              蝶の空七堂伽藍さかしまに 川端茅舎

              初蝶と思ふ白さのよぎりけり 阿部タミ子 

夏6月 - 夏の蝶

夏飛んでいる蝶のことである。揚羽蝶の類が多い。単に、「蝶」と言えば春季。

水打てば夏蝶そこに生まれけり 高浜虚子

秋9月 - 秋の蝶

秋に飛んでいる蝶のことをいう。萩の花にこまごまと群れ飛んでいたり、秋晴れの野や河原に翅をかがやかして飛んでいたりする。

              潮風にふかれとぶもの秋の蝶 稲畑汀子

冬12月 - 冬の蝶

冬見かける蝶であるが、「凍蝶」と違って、日向などを弱々しく飛んでいたりする。

束の間の日だまりに生き冬の蝶 千原叡子

冬1月 - 凍蝶(いてちょう)

死んでいるのかと思って触れてみるとそれがほろほろと舞い上がってみたり、また生きているとばかり思って触れてみると凍って死んでいたりする。これを凍蝶という。春夏秋冬と蝶はそれぞれに趣があるが、凍蝶となると一層あわれである。

凍蝶に絵の色のごと海の色 池内友次郞