2021年が明けました。 年頭にあたり、今年は世界中の誰もが大切な人と一緒の時間を過ごせるようになることを祈願します。
新年の季語に「去年今年」という言葉があります。「こぞことし」と読みます。手元の『入門歳時記(角川書店)』にはこう説明されています。
一夜明けて元旦になれば、きのうは去年、たった一日の違いで去年と今年である。新年には、このたちまちにして年去り年来るという思いがどうしてもわいてくる。この新年に抱く時の流れの迅さ(はやさ)への深い感慨をこめて去年今年という。
入門歳時記 – 角川書店刊
この季語を知ったのは3年ほど前。「去年今年。こぞことしかぁ。一夜にして去年から今年へと年が変わる。当たり前のことなのだけど、当たり前じゃないんだよなぁ」と、しみじみ感じ入り、こんな句を作りました。
恙無き(つつがなき)日々を重ねて去年今年
当時我が家は夫と高齢の母との三人暮らし。高齢の母を抱えていた我が家にとって、何事もなく一年を過ごせ、そして三人揃ってお正月を迎えることは年々難しくなっていました。母が年末に緊急入院しお正月を病室で迎えることもあったし、もう自宅に帰って来られないかもしれない、なんていう状況になったこともありました。
いよいよ大晦日を迎え家族みな元気で暮らせたことに安堵し、来る年もみな無事で過ごせますようにとの思いで読んだ句でした。新年第1回目の句会で皆さんが共感してくださり嬉しくなってしまったのですが、先生からは次のような評をいただきました。
「去年今年の季語が少しつきすぎの感もあり。思いだけの句は実体のあるものがひとつあると良いかも。私なら「除夜の鐘」と聴覚を持ってくるが…」
季語がつきすぎとは、季語と別の言葉との取り合わせが、誰でも思いつきそうな在り来たりなものであるという意味で、俳句では嫌います。読む前から内容が想像ついてしまうからです。
自分の句を読み返してみると、確かに年越しの際に誰もが抱く心境をストレートに言っただけ。これではひとり言だなぁ。俳句とは自分が感じたこと、思ったことを、季語に思いを託して表現するもの。しかし、この季語に思いを託すってことが難しい。
まだまだ手探り状態ではあるけれど、とにかくいろいろ作ってみるしかないか。「去年今年」に思いを託した俳句にも挑戦だ。
* Eye-catch photo: 206890577 © Atsushi Gando – Dreamstime.com