古来、3月3日は「桃の節句」とよばれ、宮中で供え物が用意され、いろいろな催し物が行われていた。平安時代には草餅が食べられ、中世には桃花酒が飲まれ、中世末には白酒が飲まれたそうだが、室町時代に入ってから雛の人形を祭るようになったそうだ。
江戸時代の後半に入るとこの風習が相当活発になって、草餅、桃花酒、白酒が雛祭りの供え物として定着したようだ。
雛祭りには色々なモノが必要だ。雛壇には、雛屏風、内裏雛、官女雛、五人雛、矢大臣、三人使丁などなどがある。これらに加えて、屏風、雪灯(ぼんぼり)、左近の桜、菱餅、白酒、雛菓子などを置き、さらに、重箱、箪笥、長持、挟箱、鏡台、針箱、駕籠、御所車も用意される。そしてまた、桃の花、菜の花を活け、炒り豆、あさつき膾、蛤やアサリ、い貝などを調理した雛の貝などを備える。これらは宮中で行われていたものをベースにした品々だが、地方毎に多くのバリエーションがあるそうだ。それにしても、現代では使われなくなった調度だらけだ。
私の妻の実家は北海道だったが、上のように豪華なものではないにしても、七段の雛飾りがあって毎年飾っていたと聞いている。上流階級の方々の家では、まだまだ雛祭りの宴を催しているのだろうか。
私の住む相模原市の中心部には、雛人形の店舗があり、散歩で店先を通ってもほとんど客が入っているのを見たことがないが、経営は成り立っているのだろうか、と他人事ながらいつも心配してしまう(^^)
ところで、俳句には春の季語の中に雛祭りにまつわる季語が、さすがに伝統的な催し物ということで、たくさんある。有名なところでは、松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老いをむかふる者は、日々旅にして、旅を栖とす」で始まる文章の直下に、こんな句が記されている。
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家 ― 芭蕉
引用元: 『おくのほそ道 – The Narrow Road to Oku』by 松尾芭蕉
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Even a thatched hut
May change with a new owner
Into a doll’s house.
訳: ドナルド・キーン
ということで、遅ればせながら、いろは堂のお店にも小さなお雛様の猫人形を出品しています。◆