以前から気になっていたアレックス・カーの「美しき日本の残像」をようやく手に入れて、読んでいます。
カーは、美しい日本はもう過去のもので二度と戻らない、と言います。この本には、興味深いことがたくさん書かれていますが、その中で頭に血がのぼってくるような痛烈な思いにかられた箇所がありました。おそらく20年も前のことなのだろうけれど、こんな話がでてきます。
「ヨーロッパの建築家を四国と奈良のほうに案内しました。僕は美しい寺と自然を見せるつもりでしたが、彼の目にはパチンコ店ばかりが映りました。『古い神社仏閣は死んだ遺跡です。京都の開発を見れば、今の日本人にとってそうした文化は無関係だとわかる。けれども新しいオフィス・ビルやアパートの造りはお粗末です。パチンコ店だけは豪華で、創造性に富んだファンタスティックなものになっています。もちろん悪趣味ですけど、その悪趣味こそは今の日本ではないか? パチンコ店はその趣味を徹底したものですから、日本の建築物の中ではそれは一番念が入った面白い建物だ』と彼は言いました。
<中略>
パチンコ台の前に座るのは現代の瞑想である。パチンコ台の釘の並びは現代のマンダラだ。… 京都の新しい建物はどれもきらきらぴかぴかで、行政と伝統文化組織のエネルギーはパチンコ店趣味に走っています。考えてみれば、パチンコ店は現代の根本大塔(*)だ。」
小学校4年生の終りまで育った私の故郷、神奈川県横須賀市の鴨居は、ペリー来航で有名な浦賀のすぐ近くで、山と海に囲まれた小さな村でした。ピーヒョロロと鳴きながら空を飛びまわるトビの姿を見上げながら、年長のガキ大将に連れられて山の中に入ってあけびをとって食べたり、海に潜って魚を捕まえたりしていました。山の中には秘密の場所があり、夏は一人で、ときには小さな妹を連れてそこへいき、カブトムシやクワガタを捕まえたり、蟻地獄の巣にアリを落として遊んでみたり、と楽しい時を過ごしたものでした。
カーがその昔惚れ込んだ四国の祖谷の見事な自然と民家ほどではないにしても、「美しい日本」という言葉から私が連想することの底には、そうして遊んだ山や海、青い田や畑、藁葺き屋根の家などのイメージがきっとあるのでしょう。
後年、大学生になってから何度も一人で鴨居を尋ねてきました。しかし、訪れるたびに変わってゆく町の姿に、やりきれない思いを抱いていました。今では、昔あった山は跡形もなく消え去っています。山はすべて完ぺきに住宅と化してしまいました。海は依然としてそこにあるけれども、海岸線はきれいに整備された道路になり、護岸工事があちこちで行われてテトラポッドが並んでいます。もはや子どもたちが探検をするような場所はどこにもありません。(そんな中でも、知り合いの漁師の家には若い跡継ぎができて元気に漁をし、海苔をとって暮らしていますが。)
カーは、「日本のどこに行っても風景が同じになってしまった。京都の町はもうすっかり壊されてしまった。その象徴が京都タワーだ。奈良は京都より開発が進んでいないからまだ良い」と言っています。政治家や行政を引き受ける者の責任を思わずにはいられません。
「失われた景観 – 戦後日本が築いたもの」(松原隆一郎著、2002年刊)には、日本の日常景観がなぜこんな奇妙なものに変わってきたのかが述べられています。その中に、神戸市の都市開発の話しが出てきます。神戸市は先進的な都市計画で注目されていましたが、住吉川景観訴訟では、訴えた住民側が敗訴し、日常景観を壊す高架が建設されてしまいます。その後何年かして東京の国立市で高層マンションの建設に反対する住民訴訟が起こり、一審は勝訴したものの、二審では逆転敗訴してしまいます。しかし、この件が契機になったのか、景観法という法律が制定されています。
写真: いろは堂で販売している和ろうそくの卸元、高澤商店の店舗。国の登録文化財。石川県七尾市
ちと話しが固くなってしまいましたが、前掲の本やその他の本をいくら読んでも、日本人がなぜ、これほど昔からのものを壊してしまうのか、なぜ山を跡形もなく平にしてしまうのか、私には不思議でなりません。
何百年もかかって奇跡的な歴史の巡り合わせの中から育まれてきた日本の文化や景観は、わずか数十年で見事に変貌してしまいました。我々は自分の国だけでなく、東南アジアの国にも同じことをしています。ああ、嫌だ。
※ 弘法大師空海が高野山を開闢するときに、密教独特の伽藍の構築を構想し、東西に中心的存在として多宝塔が建立された。特に東側の塔は約48メール近い高さの巨大なもので、これが根本大塔と呼ばれています。落雷などの被害を受けて何度も建てかえられているそうです。