外国人が見た日本

「外国人へのお土産」のことを書こうと思ってネットサーフィンをしていたら(思わず使ってしまった懐かしい term…)、群馬県にある古本屋さん「古書・青林」のサイトに、「外国人が見た日本」というカテゴリでまとめた本のリストが見つかりました。全部で 108 冊もあります!

いやぁ、なんだか面白そうな本がたくさんあるなぁ。一番古いのは、建築家のブルーノ・タウト ― 有名な人ですね ― が書いた本で、1937年発行の「日本文化私観」。改めてウィキペディア(Wikipedia)で調べてみると、ナチスに追われて日本に亡命してきた人のようです。たくさん本を書いていますが、有名なところで「ニッポン」、「日本美の再発見」などがあり、在日期間はわずか3年ほどでしたが、その短い期間に多くの日本人にかなり大きな影響を与えたようです。群馬県の高崎にあった工業試験所に2年ほど在籍し、竹、和紙、漆器といった日本の素材を生かしたモダンな家具を作った、とあります。

タウトにはほかに「忘れられた日本」という本があって(正確にはタウトが直接書いた本ではなく、篠田英雄という翻訳家が編纂した本)、これについて松岡正剛が「千夜千冊」の中でこんなふうに言っていて、なかなか興味深い。

曰く、「タウトは他の日本を賛美する外国人とは違って、建築家・デザイナーとしての独自の展望をもって日本を再発見していった。(中略)タウトは床の間を絶賛する。床の間が宗教との関係をまったくもっていないにもかからず、すばらしいプロポーションをもった『祭壇としての趣向』をもっていること、そのわりに徹底して簡素でありうること、古びてもなお綺麗(ラインハイト)であること、またその家や空間全貌の文化的集中をもたらしうるものになりえていることなどに、感嘆する」。

ところが、「…そのうえで、この床の間の裏側には何があってもかまわなくなっていることに驚いたのだ。床の間の裏側に、たとえ便所があろともゴミ捨て場があろうと、日本の家屋は床の間の象徴性をなんら失わない。これは日本文化の「本来の宇宙的な意義」をあらわしているのではないかと言うのだ」。(注: {宇宙的な意義} とは、「そこに世界が集約されて表出されている」という意味だそうです。)

「つまりここには、清潔と汚穢とが『見えない対立』になっているのではないか。この緊張した案配を日本が失うとき、日本は最悪なものになるのではないか。そう、タウトは見抜いたのだ。」

タウトの言葉は独特で、即座には理解できないところがありますが、それにしてもなんと面白いことを言うのだろう。そうして、タウトは日本の「おかしな」点を次々と指摘しています。そりゃそうだわ、と思われることもたくさんあります。西欧の上っ面だけ真似して、調和も何もない。これが日本をダメにしている、と言っています。松岡は、西欧化が進めば進むほど、かつての日本人が床の間で裏側を仕切るという紙一重に懸けた美を失っていくとタウトは嘆いていたのだ、と言う。西欧のダメなところばかりマネしてきた、というわけです。これらの指摘は、今現在の日本を見ても、正鵠を射ていると言わざるを得ません。

ところで、周知のことですが、ドイツにはマイスターという制度があります。そういう制度があることから、彼らの手仕事に対する日本人と類似した思い入れが想像されます。日本と違うところは、マイスター「制度」となっていることから分かるように、きっちり徹底する、ということでしょうか。ここがこうなのだから、あそこもこうでなければならない。というわけで、国のシステムにしてしまった。そういうドイツ人気質が、ひょっとしたらタウトに日本へのあのような指摘をさせたのかもしれません。日本の職人は、鮨屋でも大工でも、なんでもかでも、親方の下で何年も修行を重ね、技を盗み覚えていきます。システムは隠れて見えないのか、存在しないのか、ともかく前面には出てきません。

話はちと外れますが、かく言う私も、伝統工芸ならぬ技術文書の日英翻訳の大先生について勉強した時期がありました。言葉は生き物、若いエンジニアの書く日本語は自分だけしか理解できない支離滅裂、そんな素材から理路整然とした英語を仕上げるのは、まさに職人技に思えたものでした。

話戻して、いくつもの日本の伝統的工芸が消えようにしている現在を見ていると、ドイツのマイスターのような制度は一考の価値がありそうにも思われます。でもその一方で、何か制度を作って後継者を育成するなんてことは、やっぱり日本向きじゃあないような気がします。我らいろは堂としては、よし、と思う人が出てこいと願いながら、消えゆく技術を愛で、見つめ続けようと思います。

かつて、先の大戦で壊滅状態に陥った沖縄の染織の伝統が、大城志津子という熱血の人の登場で復活のきっかけを得たように、そんな人たちがあちらこちらに現れる希望を持ちながら。

※タイトルと内容の正剛、じゃなくて整合がとれませんでした!


ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880-1938)、ドイツ人の建築家。1933-36年に日本に滞在。出典-国際建築協会発行、「国際建築1939年2月号」1939年2 月10日発行。 出版後50年が経過し、著作権の保護期間が満了。

2件のコメント

  1. タウトさんが床の間の裏側に着目した話、面白いですね。

    それとドイツのマイスターの話。
    わたしも、kzさんと同意見です。
    何か制度を作って後継者を育成するって、
    日本的じゃないような気がします。
    日本の職人芸って、技術だけじゃなくて
    精神的なものが一緒になってると思うんです。

    私は華道を習っていますが、華道も職人の世界と通ずるものがあると思います。
    花を生けるにはいくつかの基本の型があります。花の扱いには決まりがあります。
    そうした型や決まりを身につけると確かに花をうまく生けることができます。
    でもそれだけではダメなのだと92歳の家元先生はおっしゃいます。
    花と向き合うこと。そして気持を入れて生けること。心が入って初めて人の心に届く「花」が生かるのだと。
    なにやら哲学めいていますが、花の心、それを求めていくことが花の道なのでしょうか。
    技を磨き魂を高める職人の世界に通じるものがあると思います。

    最近はヨーロッパのフラワーアレンジメントに押されて、華道を習う生徒さん少なくなってきました。
    同時にお花の先生方の高齢化が進んでいます。
    華道の将来も伝統工芸と同じかもしれません…

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