今週はお盆休みで、なにやら辺りは閑散とした雰囲気です。お盆なので、お盆らしいお話を少し。
皆さんは、自分にはないにしても実家にはきっとありますよね、お墓が。私はお墓をもっていません。私の親もお墓を持っていませんし、菩提寺もありません。こういう人間というか家って、日本にはどれくらいあるんでしょう。ふと思いました。
宮本常一という日本中をひたすら歩き回った民俗学者がいました。著作のひとつに「なつかしい話」という本があり、その中に作家の山崎朋子との対談があります。お墓にまつわる話が出てくるのですが、そこからかつての日本の庶民の生活の一端が見えておもしろいです。一部、ちょっと引用します。
山崎: ここ14, 5 年歩いていて、どこへ行っても墓地を訪ねるわけです。そうすると初めはわけが分からなかった。その村の者でない者がいっぱい墓地の中に入って眠っているわけですね。聞いてみると、それはちっともおかしいことじゃない。日本の村や町、港には、いろんな地域の人間が、旅人とも滞在者ともつかぬ恰好でしょっちゅう人が出入りしていた。そして、その人たちはその村なら村に必要な仕事をして、そこで生活していたのです。(中略)自分の墓石代だけはちゃんと持っていて、その出稼ぎ中の村で病を得てもう助からないと思ったときに、置いてくれている家の人に、お前の家には墓はあるか、と聞いたら、ないと答えられ、それならちょうどいい、おれは墓石代をもっているから、一つおれが眠ったらこれでおまえの家の墓を作れ、そしてついでにおれも入れておいてくれ、と言ってなくなった。そういう人が決して珍しくなかったということです。
もちろん、墓石代なしに家の客に入れてもらったり、自分の墓だけ作ってもらった人も少なくなかったのですが、こういう式の納まり方って多いんですね。どこへ行っても大なり小なりそういうのがありました。だから私は歩き始める前は、先祖代々の自分のふるさとに骨を埋めるということが日本人の昔からのしきたりだと思っていました。しかし、民衆の次元では必ずしもそうではない。なんだかあちらからもこちらからも食べるために、稼ぎに来た人たちがそこでたまたま死ねばそこで埋まればよい、という稼ぎ方といいますか、付き合いの仕方、死に方というものを、日本の民衆はしてきたらしい、とおもうようになりました。
宮本: そうでなければあちこちにあんなによそ者の墓があるわけはないですね。歩いていると至るところにありますからね。場合によるとその人が非常に不幸な死に方をしたということもありますよ。それで金も置いてはいかなかった。それすらも墓を建ててやる。だから、非常に孤独のように見えながら、孤独にはしておかなかった。」
出典:『なつかしい話』宮本常一著、河出書房新社2007年初版
その後、宮本はあるお寺に保管されていた過去帳にまつわる驚くべき実話を滔々と語っています。
宮本常一の本を読んでいると、村の「寄り合い」などで老人たちが、コミュニティの交わりを円滑にするためにああだこうだと知恵を出し、あっちとこっちをすり合わせてと、その役割を果たそうとする姿が生き生きと描かれている場面によく出会います。よそ者との付き合いもそういう中で作られてきたものなのかもしれません。
私の親は財産など何もありませんが、この春に消えた年金の一部が一括でもどってきたので、「ああこれで墓代ができた」二人とも安堵していました。人間いずれは死ななければなりません。どんな死に方をするにせよ、周囲の人たちには必ず後始末をしてもらわねばなりません。私も親に似てやっぱりお金にはさっぱり縁がありませんが、死ぬ時には、自分とかみさんの墓代くらいは持って、後始末を誰かに頼みたいと思っています。
さて、もう時すでに遅しですが、たまのお墓参りや、ご仏前に、珍しい和ろうそくはいかがですか。ご先祖様もきっと喜ばれるかと。