敬老の日―おばあちゃんの思い出

母方の祖母、おばあちゃんは働きものでお裁縫が上手な人でした。着物のリフォームもお得意で、おばあちゃんがよく着ていた絣がいつの間にか夏のワンピースになったり母の半纏(はんてん)になったりして驚かされたものです。

紫式部夏が終わる頃、よく、布を張り付けた長い板が庭に立てかけてありました。おばあちゃんの着物がばらばらの生地になって板に張り付けられているのです。これは洗い張りというもので、着物を解いてきれいに洗い、再び反物として蘇らせるための作業です。明治生まれのおばあちゃんでしたから物を大切にして長く利用するのがあたりまえだったのでしょう。私の浴衣の残り布でお人形の浴衣も一緒に縫ってくれた時はお揃いが嬉しかったなぁ。
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けれど、あいさつはもちろんのこと、箸の上げ下ろしにも小言を言う躾に厳しいおばあちゃんでもありました。

「お口をもぐもぐしながらおしゃべりしたらお行儀わるい」
「ちゃんとお茶碗を持ってご飯を食べること」
「ご飯は最後まできれいに食べること。お百姓さんは一粒のお米だって作るのに1年かかるんだから。」
「初ものは仏様にあげてから」
「脱いだ靴はこっちをむけて揃えておきなさい」
「畳の縁を踏んで歩いてはいけないよ」
「子供は大人が話しているときはだまっていなさい」

「あぁもう、うるさいなぁ。あっかんべぇだ」幼いころの私は、なんてまあ、にくったらしいことを言う子供だったんでしょう。しかし、おばあちゃんに仕込まれた躾はしっかりと身体に染み付いていて、「あっかんべぇ」と言いながら走っていく私の足はみごとに畳の縁を避けていました。おばあちゃんの躾は人としての基本の基本でありました。徹底的に叩き込んでくれたことに感謝できるようになったのは、社会人になってからです。

切山椒(きりざんしょ)という和菓子をご存知ですか。「求肥(ぎゅうひ)」を細切りにした感じで、山椒の風味が特徴の餅菓子です。おばあちゃんのお気に入りのお茶菓子でした。最初の勤め先だった新橋で、老舗の和菓子屋さんの前を通りかかったとき偶然目にして「あ、おばあちゃんの…」。それからは見かけるたびに求めてはお仏壇にお供えするようになりました。わたしのおばあちゃんへの敬老の贈り物です。