7月に入りました。夏を迎えるこの時期、日頃お世話になっている方や普段はなかなか会えない方へ感謝の気持ちを込めてご挨拶するチャンスです。
通常、関東では7月の初めから15日頃までに、関西では7月半ば?8月15日まで贈るのが一般的だそうです。でもこの期間を過ぎても「暑中お見舞」、立秋を過ぎたら「残暑お見舞」として贈ることができるそうです。
わたしは「暑中お見舞」とか「残暑お見舞」としてお贈りすることが多いです。普段はなかなか会えない方、とくに高齢の方には「暑い夏、お変わりなくお過ごしでしょうか」という「暑中お見舞」もかねて、その方のお好きなものを贈ったりしています。
贈って嬉しい、もらって嬉しい
あれこれ考えて相手に喜んでいただけるものを贈ったつもりでも、相手にとっては不要なものであったり、気に入らないものであったりしますから、贈り物をするのはほんとにむづかしい。
それでも私は贈り物をするのって好きです。何がよいか、頭を悩まさなくてはならないのだけれど、贈ろうとする相手のことを一生懸命考えるのが好きです。これまでのお付き合いの過程から相手の好きなものやご家族のことなどさまざまなことを思い浮かべて、食べていただけそうなものや使っていただけそうなものを選びます。お気に召していただけたら幸いです…
皆様はいかがでしょうか。贈って嬉しい、もらって嬉しいお中元ってどんなものですか。お中元に限らず、贈って嬉しい、もらって嬉しい贈り物についてご意見をお聞かせください。
両親の思い出とお中元
小学生の頃、父のところへほんの数年間お中元とお歳暮の時期に届けられていた陶器があります。焼き物の趣味などない父にいったいどうして、どなたが、当時の若手作家物の焼き物を、たとえそれほど高価なものでないにしても、贈ってくださったのか、父と母が亡くなった今となってはなぞです。
母は焼き物が大好きなので荷が届くたびに「あらぁ、ねずみしの(鼠志野)だわ。」とか「いい形のつるくび(鶴首)ね」と、鶴だ、鼠だと感嘆しては丁寧に包み直していました。
志野焼きのぐい飲みのセットは、すぐに父の晩酌の友になり、小学生だった私もすぐに鼠志野を覚えました。
母の一番のお気に入りは白釉のお湯呑み。どっしりとした丸みのある器で、お湯呑みにしては大きすぎない?というくらい大きいので、お茶をいただくときは両手の平で包むように持たなければなりません。当時の肥満気味の母の体型を思わせるのか、柔らかくてあたたかみのあるお湯呑みが、いつしか私も大好きになりました。
もう30年以上も前のお中元で、しかも残念なことに贈ってくだすった方も不明なのですが、ぐい飲みのセットとお湯呑みは今でも我が家で活躍しています。鼠志野のぐい飲みを徳利と並べると、白釉のお湯呑みに緑茶を入れると、自然と父と母のことを思います。
いつか大切な思い出になるお中元の贈り物もあるのですね。